過剰な社会適応
音楽をやっている妹と話していて、アートの目に見える価値、と言う言葉が気になった。
アートに目に見える価値などあるのかと思った。
私が、ではあなたにとってあなたの音楽の見える価値とは?と聞いたら、再生回数、コメント数、登録者数と答えが返ってきた。
私はびっくり仰天。
自分が感動したこと、感じたことを音楽を通じて差し出す。そうするとそれに反応した人がいる。同じバイブレーションを共有できることの喜び。もちろん解釈は違ったとしても。そういうことじゃないのか。ただ響かせることが嬉しい。そういうことではないのか。
最近お金だったものが注目と言うものにとって変わったらしい。私はこの気持ちはわかるなぁと思いながらも心の痛みを感じた。
ニュースも雑誌も広告記事もみんな今のままでいてはいけない。あなたはもっとよくもっとよくなるべきだ、と語りかけてくる。
自分が感じたことが全てだ。自分が良かったら本当にそれでいいんだ。ただここにいることが嬉しくて幸せなんだ。何をしても何もしなくてもいい。だって私は素晴らしいから。こんな感じから私たちは一体どのぐらい離されてしまったのだろう。
私たちは、社会に適応しすぎている。
自分と言う広大で素晴らしいものを社会に合わせすぎている。
では、社会とは?
過去人間たちが作ってきた社会とは、全てそんなに素晴らしく、愛に満ちたものなのだろうか?
本当に?
誤解を承知で、あえて言おう
社会など大した事は無い
自分が死ねば消える。ただの幻想だ。
私たちは何も持たず、生まれて、そして何も持たず死んでいく。それが最高にハッピーなことなのに。
一体私たちは一体どんな夢を見続けているのだろう。
この人生なども瞬きするほど短いものだ。
ほんとに一瞬。
その一瞬を、ただキラキラ光って瞬間にときめいて、そして消えてゆく。
高層ビルを立てたものも、羊水の中で死んでしまった赤ちゃんも、同じで、どちらも大したことはなく、そしてまた限りなく素晴らしい。
自分だけの体験をして、宇宙に消えてゆく。
みんな同じだと思うんだ。
地球での社会での成功など実は、大した事は無い。
ただあるあるがままで、おおらかに、縦横無尽に、生きていきたいんだ。私は。


上田ハートケアカウンセリングユニティ
坂田
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